3月の某日、ベトナムのハノイに赴き、 日本の桜をベトナムに植樹するイベント、 「ハノイ・日本文化交流祭」にスポンサー企業の1つとして 参加してきた。
当日は、ベトナム各地で盛んに踊られている よさこいソーランのコンテストが開催されており、 日本の文化を愛し、母国の文化と融合させながら 独自に発展させようとする、みずみずしい感性とパワーを感じた。
激しく踊るベトナムの若者の姿を見ていて、
僕は、日本のよさこいソーランのダンスチームの草分けであり、トップクラスの集団「関西京都今村組」を思い出していた。
その創始者である、今村克彦さんは、かつて、無心に踊る子どもたちをこう表現したことがある。
観衆の前で、踊る子どもたちは、うまく踊りたい、という思いで踊っているのではない、
目の前で自分たちのダンスを見てくれる、おじいちゃん、おばあちゃんたちが、
笑顔になってくれる、その笑顔を見て、自分という存在を確認でき、そこに喜びを感じているのだ。
文章は正確ではないが、こういう趣旨のことを語っていたことが、とても印象に残っていた。
「ハノイ・日本文化交流祭」のよさこいソーランコンテストに集う、若者たちは、
例外なく、笑顔にあふれていた。喜びに満ちた表情だった。
それは、自分が踊ることで、聴衆と一体感になれる
ベトナムと日本の絆がより深まることを体感しているからこそ、
踊ることに、一層の喜びを感じているのではないか、と感じた。
本当の国際交流、世界が一つになるというのは、
こうした、人と人との「心が動き共感する」ことから始まるのではないか。
ビートの効いたドラムと和太鼓の響きが
近くの湖の水面を徐々に揺らしていくような感覚にとらわれながら
共感の心地よさに浸ったひと時だった。
フィリピンで感じた若い世代の溢れる情熱をベトナム・ハノイでも 体感した貴重な体験だった。
今、東南アジアには、スマホが爆発的に広がっている。
道ゆく人は、ほぼほぼ、スマホを片手に通話やインターネットに触れている。
仮想通貨やブロックチェーン技術は
間違いなく、これら新興国の形を、劇的に変えていくだろう。
可能性は、日々広がっている。